エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『大賀正行さんを偲ぶ会』

「大賀正行さんを偲ぶ会」―大阪の解放運動の“灯台”

 「部落解放運動の理論的主柱であり、中心的な牽引車の役割を果たされた」大賀正行さんが、本年(2024)4月15日に逝去された。享年86歳。

 10月5日に「大賀正行さんを偲ぶ会」が大阪コロナホテルで開催され、240名もの人々が参列された。そして、10月20日の「第55回大阪社会運動物故者顕彰・追悼式」(@大阪城ホール城見ホール)において、10名の人々とともに、顕彰された(第1回からの累計=1836名顕彰)。

 以下、「大賀正行さんを偲ぶ会」に向けて編集発行された冊子と、顕彰追悼式で発行された冊子をもとに、大賀さんの歩まれた道を辿りたい。「偲ぶ会」の冊子には、広範な人々126名から寄せられた追悼メッセージが20頁にわたって付録資料として付けられている。

 大賀さんは1937年8月2日、大阪市東淀川区淡路(日之出地区)で誕生。複雑な家庭環境のもとで、父方の郷里和歌山に疎開して大空襲を体験し、小中学校を7回転校する境遇ではあったが、高校2年生の時には「日之出少年会」を結成して活動を開始し、部落解放第1回青年集会(香川県小豆島)にも参加して、20歳で部落解放同盟大阪府連青年部結成準備会を結成し、書記長に就いている。大学時代には、大阪市立大学の「部落問題研究会」も創設している。

 1959年(22歳)に上田卓三、向井正、山中多美男らと共に部落解放同盟大阪府連日之出支部を結成して支部長を担い、60年には府連執行委員に就いて、部落解放運動の牽引者の役割を担いはじめる。以降、府連教宣部長、73年には府連書記長を担いつつ(75年6月まで)、74年には中央執行委員に就き、82年の10月まで務めて、96年には中央本部顧問に就いている(00年3月まで)。

 運動理論の構築では、68年8月(31歳)に「大阪部落解放研究所」の創立に参加し、理事兼研究部長に就いた。府連全体の学習活動をリードし、年に4回~5回、情勢分析と課題について講演、青年活動家の育成講座など、「大賀講演」で学んだという活動家の声が多く聞かれる。

 この点では、赤井隆史・部落解放同盟大阪府連委員長が機関紙の「コラム 水平時評」(Vol.275)において、大賀さんを偲ぶ言葉を「大阪の解放運動の“灯台”」と規定されていることにも、果たしてきた役割が伺われる。本欄でもこの言葉を題に使わせていただいた。65年10月(28歳)同盟第20回大会において決定された、「同和対策審議会答申」を高く評価する方針を支持し、その批判勢力に対して明確な理論的批判を展開されたことは、歴史的にも特筆されることである。

 主な著書は、以下の通りである。

・『部落解放理論の根本問題―日本共産党の政策・理論批判―』(解放出版社、1977年)
・『部落解放理論の創造に向けて』師岡祐行・沖浦和光共著(解放出版社、1981年)
・『同対審答申の意義と今日』(部落解放研究所、1988年)
・『第三期の部落解放運動―その理論と創造―』(解放出版社、1991年)

 著書のなかで、部落解放運動の歴史を3期に分類し、第1期を糾弾闘争主導時代、第2期を行政闘争主導時代、第3期を共同闘争主導時代と位置付けている。そして今部落解放運動は第4期「地域共生社会づくり」を掲げていて、「大賀さんの思想と哲学は継承されている」と、赤井委員長は前述のコラムで述べられている。

 私ごとではあるが、筆者も基礎学習の影響を大きく受けている。大賀さんは筆者にとって大阪市立大学文学部哲学専攻の3年先輩であり、筆者は入学当初から社会科学研究会や唯物論研究会のチューターとしての大賀さんから基礎的な指導を受けた。総評オルグに就いてからも、同対審共闘や部落解放共闘運動を自らの課題として取り組めたのも、大賀さんとの絆ゆえと思っている。

(伍賀 偕子 ごか ともこ。元大阪総評オルグ、元「関西女の労働問題研究会」代表)