連載第10回 職場新聞(3)『蛹(さなぎ)粉(こ)の中で』その2
絹紡製綿職場の主な担当の内、「切綿(せつめん)」「円型(えんけい)」「粕取(かすとり)」は担当の台(機械)を持つため「台付(だいつき)」と呼ばれ、台から離れるのが難しかったので、トイレに行くのにも苦労した。
『蛹粉の中で』には、台を離れ、休憩する時間の制度化やそのための人員確保についての記事が見られる。
『蛹粉の中で』2号(1956.3.20発行)1面より)
「週に一度位台離れをさせてほしい
台付ですが、毎日毎日台についてばかりいると、自然とあゝ今日も又台付か…?と思うようになる
ですからせめて一週間に一度位台につくのを交替にしてほしい」
『蛹粉の中で』6号(1956.8.17発行)では班長、組長などの役付労働者が、交替要員となって台交替し、1日2回の休憩を取る制度が確立されていたことがわかる。
『蛹粉の中で』6号1,2面より
「B→Aに転番した四人の同志よ
十三台を目標に、今こそ安心して働ける様になった職場、二回の台交替時を、私は楽しみに出勤している。それなのにこぞっと四人私の同志が、転科してしまうのだ…(中略)待ち遠しい台交替ではあるけれど、一回にがまんしても友情で助け合って、固い団結で進もう、お互いのしあわせのためにも」(1面)
「◇組長さんに一言、時間の終りによく台交替よ…て、くるんですけど、いつもいっしょの人ばかりで時には別の人にも変わって下さい。」(2面)
さらに、翌年2月15日に発行された『蛹粉の中で』10号では、台交替のための人員として、役付労働者に加えて、台付労働者が順番に「台ばなれ」という担当台を持たない補助的な係につく仕組みができていたことがわかる。
『蛹粉の中で』10号(1957.2.15発行)1面より
「順番にさしてね
最近の台交替について一言
近頃、台交替は、バラバラになっていますがどうしてあんなになってしまったのか、今日は、台ばなれだと思って出勤すると、なんと段取表をみてみたら、台付じゃあ、ありませんか、楽しみに出勤しますから、台交替は、変ることのないよう、台ばなれをさして下さいね、」
「台交替」「台はなれ」の要求についての記録は、当時の彦根支部大会報告などには見られない。職場が独自に職制と交渉を重ね、問題を解決していった様子がうかがわれる。
(注)台交替、台はなれの実情等については、当時、製綿職場で働いていた入江(旧姓鹿島)スナヱさんにご教示を得た。感謝いたします。
(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)
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