連載第13回 職場新聞(6)『ほのお』その1
『ほのお』創刊号1面
『ほのお』は『蛹粉の中で』と並び、最も早い時期に創刊された絹糸紡績ガス焼職場の職場新聞である。1956年2月に創刊され、その後13号までほぼ1ヶ月に1号発行されている。なお、1957年7月に最終号として『ほのほ』のタイトルで12号(『ほのお』3月10日号と号数重複)が発行され、その後絹紡仕上職場(合撚糸、ガス焼、検操、仕上)全体の職場新聞『きぬいと』に引き継がれた。
ガス焼工程では、精紡後、合撚工程で、単糸2本を合わせ、撚りをかけて巻き上げた糸を炎の上に通し、毛羽立っている部分を焼き、糸に艶を出す。
ガス焼機(朝倉克己氏提供、近江絹糸紡績彦根工場、1955~1957年頃)
ガス焼機の上部に木管糸を立て、糸をガスバーナー上の台に設置されたランナーと呼ばれる突起に巻き付け、下部の糸巻に巻き取った。糸の掛け方は複雑で、ランナーを通る順序や巻き方は決められていた。
炎を使うため、暑さで粉が埃のようにへばりつき、垢が落ちるのが不快で臭く、辛かったという。このため、晒練、整綿と並んで特殊作業場として、絹紡手当の対象とされた。
「たった十五円位の手当がなんだ
顔髪、服ところかまわずよって来る灰、いくらはらっても、はらっても、十分もしないうちに灰はつもる。
あゝいやになっちゃうな、ガス焼なんて、どこか職場をかわりたい。おそらくここを退社するまで、この灰からのがれられないだろう。ある人はガス焼は手当がついていゝわねって言う。
たった、たった十五円位(注)。本当にそう思うなら、私とかわってよ。
お願いだから、
貴方たちのように、きれいな所で、仂らけたらどんなにいいかしら、今日もまた、灰にまみれて仂く私たち。」『ほのお』№10 2面より
また、暑さそのものも苦痛の原因で、『ほのお』№3には、隣り合う工程である検操職場との間にガラスの仕切りを入れることについて、反対の記事が見られる。
「むし焼きにはたえられない
窓をはずせ
ガスの臭いとあつい灰の中で仂く私たちガス焼に検操の方にガラス窓が入れられるように日に日にできて来ています。これを見る時、ただでさえ暑い職場であるのに窓など入れられたらそれこそ私たちまでがむし焼きにならなけ■ばなと思います。(中略)窓を入れる前にガス焼の冷房装置をやってからでなければ私たちは毎日の出勤もしようにもむし焼にはたえられそうもありません。(後略)」『ほのお』№3 1面より
これは、他の仕上職場が暑く臭いガス焼職場を単独にしてほしいと主張し、行われた措置だという。この時点で必ずしも特殊作業場の問題が仕上全体の問題としてはとらえられていなかったことがわかる。
(注)ガス焼の労働者には日額15円の絹紡手当が支給されていた。
(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)
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