エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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『大阪砲兵工廠新聞記事集成(『大阪毎日』編)』

『大阪砲兵工廠新聞記事集成(『大阪毎日』編)』

 久保在久著 ([2022]年/私家版/A5判314頁。奥付に発行年月日の記載がないため、発行年を補記した)

     

 「大阪砲兵工廠」とは、大阪城周辺にあった戦前期アジア最大級の兵器工場であり、2019年には事業開始150年という節目を迎えた。

 本題に関わる久保在久の著書は、1987年11月に『大阪砲兵工廠資料集』(上・下、日本経済評論社)があり、「日本産業技術史学会第1回資料特別賞」受賞という高い評価を得て、「朝日新聞」・「毎日新聞」の「ひと」欄に掲載された。『大阪社会労働運動史』(社会運動協会)の第1巻・2巻でも、大阪砲兵工廠に関わって、久保が詳細に執筆している。

創立150年を機に、2019年5月に『大阪砲兵工廠物語~創立150年 新聞記事を中心に』(耕文社)を、2020年に9月に『大阪砲兵工廠年表』(耕文社)を発刊(2冊とも本欄で紹介し、閲覧可能)。今回は砲兵工廠に関わる新聞記事のうち、「毎日新聞」を2年半かけて総当たりして、本書の出版となった。20冊の限定版だが、わがエル・ライブラリーに寄贈いただいたので、広範な皆さんと共有したい(続いて「朝日新聞」にも取りかかり現在編集中)。

著者の砲兵工廠についての基本認識は、「侵略戦争推進のための兵器製造工場であったことは事実であるが、反面大阪の町の形成や産業革命推進のために果たした役割も無視できない」と、冒頭に記されている。戦時下において、陸軍からの厳しい報道規制から、どれだけ実態が記されているか、興味深いところである。大量の記事を全て読むのは困難としても、著者の注目する主要記事83件の概略が最初の5頁にわたって記載され、見出しの後の()内に初出の掲載年月日が付記されているので、どこから読もうかの手引きとなる。その中から、社会労働運動史的に興味深いものに絞っていくつかを紹介する。

女工採用(明治18/3/20)―これまで女性は一切採用されなかったが、民間からの請負製造業務に限り使用することに決定

◇陸軍官役職工条例(明治29/10/11)― 砲兵工廠など官営工場の一般職工は就業・退職に関する規定もなく、工廠で技能を習得すると民間工場に転職する者多く、政府は「官役職工条例」を制定し、職工の早期退職を防止する方策をとる

◇台湾・朝鮮からの来廠(明治30/8/24)― 日清戦争の結果台湾が統合されたことに伴い、早くから「同化」のため日本観光がしばしば企画され、大阪では砲兵工廠がその対象となった。また、明治43年8朝鮮を併合後、明治44年5月の実業視察団をはじめ観光団も組織されしばしば来訪している。

◇最初の労働争議(明治39/11/30)― 砲兵工廠の職工18,000人は待遇の改善を求めて、代表者を選定して交渉に当たろうとしたが工廠はそれを馘首したので、激高した職工側は職制を狙い撃ちにして袋だたきにしたり川へ投げ込むなどの暴行を加えた。さらに犠牲者の生活保障のための義捐金を集めて対抗した。憲兵隊、警察は主立ったものを引致し治警法による処分を課した。これにより事件は一応の終息をみたが工廠始まって以来最初の労働争議の端緒となった。

労働組合「向上会」結成(大正8/10/21)― 発会式は森之宮小学校で開かれ、来会者2500,綱領などを決議した。陸軍直営工場で労組結成は初めて。 

◇大阪最初のメーデー(大正10/4/27)―大正10年5月1日中之島公園で開かれ、集会の後天王寺公園までデモ行進、総指揮者は「向上会」の八木信一。

字数の関係で、以降は主な見出しのみで概説は省略する。

◇労組分裂、「純向上会」設置(大正11/11/2)/◇純向上会の団体交渉権確立(大正13/9/6夕)/◇国際労働会議労働代表に八木信一(昭和10/1/18)/◇労働組合消滅(昭和11/9/11)/◇敗戦、陸海軍解体(昭和20/12/1)

 以上、著者の丹念な探求心と、生涯をかけた「ライフワーク」への情熱と姿勢に今回も心を打たれた。(伍賀 偕子〈ごか・ともこ〉 元「関西女の労働問題研究会」代表)