『技術史研究』No91(会誌創刊70周年記念号)
現代技術史研究会(2023年12月/B5判210頁)
<70周年記念号の目次>
「現代技術史研究会」の会誌創刊70周年記念号の構成は、以下の通りである。
○巻頭言 後藤政志
○巻頭論文
老朽化した原発を運転することは大規模事故のリスクを上げる
―鹿児島県川内原発の特別点検に係る元分科会委の員証言― 後藤政志
○70周年特集
・昭和電工の主張の虚構性と不合理性の基盤
―新潟水俣病第一次訴訟補佐人の意見― 宇井純
・現代技術史研究会における技術思想はどのようなものだったか 井野博満
・会誌70周年に寄せて 泉 茂行 / 猪平 進
・大阪の現代技術史研究会 吉田哲夫
・現技史研と私と水俣病 矢作 正
・現代技術史研究会会員アンケート
・技術史研究目次 1~29号
○一般
・戦後技術の歩みを振り返って見た時 天笠啓祐
・日本窒素労働者の歴史Ⅲ ―1920年代から1946年(2) 矢作 正
○編集後記
<現技史研の歩みと果たした役割>
会誌『技術史研究』は、1953年*16月に創刊されたが、星野芳郎の記述(2005年)によれば、1951年以来の前段の研究蓄積を踏まえて、「現代技術史研究会」の名称で131人の会員を擁して正式に発足したのは、1957年10月19日とされている。研究会の歩みを概括して、「政府や企業に対する正面切っての批判などは公開できるものではない。現代技術史研究会のような、ささやかではあるが自由討論の場があって、はじめて、日本や世界の技術の真実と技術と社会の関係を語ることが可能なのである。その流儀を48年間にわたって押し通したというのは、見事な一本道であると言うべきであろう」と記している。会員数は61年273名が最大で、71年4月228名と、編集後記に記述されている。
後藤政志(現技史研議長)は巻頭言で、研究会の歴史と今後の役割を以下のように概括している。
技術の歴史としてみた時に、太平洋戦争までのめり込んでしまった負の遺産と水俣病に代表される公害の歴史と、そして福島事故の先の見えない人工放射性物質との闘いの三つが重要事項としてあげられる。水俣病に関する長い公害に対する闘いは、現技史研にとっても大きな課題であり、正に技術を問う形で、水俣病に直接、間接に関係する“公害”という意味を問う作業も含めて多くの会員が取組んできた。(中略)また、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴い発生した福島原発事故は、改めて私たちにとって環境とは何かということ、技術のありようと放射物質拡散事故の厳しさを突きつけられた。
(中略)2021年1月にウクライナで発生したロシアの軍事侵攻に至って、もはや原発は、紛争当事国にとっては、自国に仕掛けられた核兵器になり得ることを知らされ、そして意図しない威嚇攻撃や偶発的な事故も考慮すると、福島事故の次の大規模な原発事故が現実の脅威となって迫ってきた。(中略)こうした、エネルギー問題、環境問題、安全保障と戦争の問題、AIを含む科学技術の先端の問題、ジェンダーの問題等、あらゆる面で重要な局面を迎えている今日、現代技術史研究会会員として会誌70周年記念号が出せることを素直に喜びたい。
字数の関係で、個々の論述に言及は出来ないが、現技史研における技術思想がどのようなものであり、葛藤も含めて、実践と運動に活かされ貫かれたのかが、科学分野に疎い筆者にも伝わる、学びの多い書である。
また、大阪で活動してきた筆者にとっては、「大阪の現代技術史研究会」(吉田哲夫)の歩みはとても関心があっても、能力的にも要約できないが、わが『大阪社会労働運動史』の監修者であった故中岡哲郎氏を囲んでの会の記録などから、氏が当然の役割を果たされたことが推察できて嬉しかったことだけ、付言しておきたい。
また、平野恵嗣著『もの言う技術者たち―現代技術史研究会の70年』について、こちらに紹介文を掲載しているので参照されたい。(伍賀 偕子 ごか ともこ)
*1:会誌『技術史研究』の創刊=1953年6月について、『もの言う技術者たち―現代技術史研究会の70年』(平野恵嗣)で、創刊を1952年と誤って記載しているが、それは、著者平野の責任ではなく、創刊号の奥付が1952年と誤っていたことによると、編集後記に記述されている