エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)

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所蔵資料紹介~辻󠄀保治資料(近江絹糸紡績労働組合関係資料)

 2019年度より当館特別研究員に就任した下久保 恵子による「所蔵資料紹介」のシリーズを始めます。まずは辻保治旧蔵資料からいくつかの同人誌や職場新聞などをピックアップして紹介していきます。第1回は『熔岩』を取り上げます。

 

1.『熔岩』(彦根の詩サークル『熔岩詩人集団』) 

写真は、『熔岩』17(熔岩詩人集団,1954.4.8)の表紙絵及び挿入版画

表紙絵:北照夫 版画:江口 峻

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  熔岩詩人集団は、1952(昭和27)年、大西作平、猪野健司、中川郁夫他5名で発足し、同年、5月に「熔岩」第1号を発行した。社会的なイデオロギーを詩の中に盛り込むことを目指し、その後、1965(昭和40)年6月の81号まで続刊された(注[1])

『熔岩』は、当時の全国的な詩文学誌であった、『列島』4号(1953.3)掲載の「サークル詩の現状分析と批判」(関根弘大久保忠利鶴見俊輔,安東次男)において、「全国各地方のとくにその組織的な活動が顕著とおもわれるサークル」として他の12の詩誌とともに検討対象となっており、注目度の高い地方詩誌であった。

辻資料には、10-11,15,17-20,22-25,27,28,30-34,36,43,53,63-66,68号の26号分の熔岩本誌が所収されている。資料中の『熔岩』は,ガリ刷で,表紙は多色刷,本文にも版画やカットが入っている。表紙やカットの制作については、制作者名の記載のある号もない号もあるが,交代で行っていたようである。

余子敏,川本道成「近江絹糸の詩サークルはどうして生まれたか」(『詩運動』№14(詩運動社,1955) によれば, 辻氏が『熔岩』に参加したのは,近江絹糸人権争議以前の1954年2月頃とされている。人権争議以前に、辻氏のペンネームである「余子敏(よごさとし)」 の作品として、『溶岩』17号(1954年4月),18号(1954年5月)に詩や俳句群が掲載されている。

17号に掲載された俳句作品群(抜粋)を紹介しよう。なお、タイトルにある「ふくろう」は当時、近江絹糸で行われていた深夜専業労働者(深夜番)のことをさし、辻氏自身も精紡職場の深夜番であった(注[2])

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-俳句- ふくろうとその群の章 余子敏

 ホコリより逃れ一人月を吸い

 公休あり深夜番陽に伸々

 「入試止」あきらめ ており顔々

ふくろうの群新生夜のいとなみ

 買われおる労組大会 春雷

 発言 解雇去る友に朝の雪

 議題発言なく満悦 椅子の人

 惨。黒々の群に一面朝の日

 眠ざむれば晴天の昼睡り足らず

 夜眠か嬉しくなにか夢見ん

 われ若く の春あせて不安

 

 (注1)熔岩詩人集団の設立、活動については、、『熔岩』第10号(1953)、『暗い中に笑顔が』pp.122-123,「近江文学百景 ―湖国の詩脈・戦後編〈11〉―数々の詩集について ―『暗いなかに笑顔が』ほか―」(『湖国と文化』1986年夏第36号 pp.72~pp.73)参照

 (注2)ゼンセン同盟オーミケンシ労働組合『大いなる翼を広げて大いなる翼を広げて-労働組合30年史-」(1989)p95参照

           (下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)

 

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『旧真田山陸軍墓地、墓標との対話』

小田康徳編著(阿吽社/2019年/四六判301頁)

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 旧真田山陸軍墓地ってどこにあるかご存知だろうか? 大阪市天王寺区玉造本町の台地上にあり、広さは15,077㎡である。創設は1871(明治4)年、日本で最も早く大阪に設置され、1945年の敗戦と陸軍解体に至るまでに軍と戦争に関わって死んだ人のさまざまの墓標が、軍の階級別または戦役別などに区画されて整然と並び、個人の墓碑数は5,091基以上にのぼり、日露戦争満州事変に関わる合葬墓碑が5基、日中戦争から第二次世界大戦終結までについては、別に8,249人分のデータをもって数えられる戦没者男女の分骨を納めた納骨堂が建てられている(納骨堂には、女性と思われる名前の方が少なくとも5人、看護婦長1人、陸軍軍属3人、所属記載なし1人が葬られている)。

 本書は、小田康徳はじめ「NPO法人 旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」に属する人々15名による執筆で編纂されている。本書に先立って2006年『陸軍墓地がかたる日本の戦争』(小田康徳・横山篤夫・堀田暁生・西川寿勝編著/ミネルヴァ書房)が刊行されている。今回は、軍と戦争に関わって命をおとした人びと一人ひとりの存在を物語る墓標に注目し、書名にあるように、いくつもの「墓標との対話」を重ね、その生と死を語る他の史料を丹念に探し出して検証し(例えば出身地の自治体史など)、この墓地に葬られるに至ったその時々の陸軍や戦争の真実にきわめて具体的に迫る、貴重な歴史研究である。その一つひとつの探索・検証の尽力には、頭がさがる思いである。

 構成は、第一部:陸軍墓地の通史 第二部:さまざまな死者との出会い― からなり、第二部では、― 第1章:平時の死没者、第2章:西南戦争と大阪での死没軍人たち、第3章:日清・日露の戦争から大正期の対外戦争まで、第4章:十五年戦争と関わった人々、第5章: 真田山陸軍墓地を考える― の章立てとなっている。

 概括的な見出しに括られてはいるが、「さまざまな死者との出会い」は、旧陸軍とそれが主導した日本の戦争というものの重荷を一身に受け亡くなった人びとの生への思いと、今を生きる私たちに多くのことを投げかけている。― 最も古く葬られた人物と謎の死、生兵(せいへい)の死、平時死者の病死、陸軍と脚気、30年間神戸に眠っていた遺骨、京都府出身の西南戦争戦死者12人、陸軍墓地に眠る2人の水兵、日清戦争時の清国俘虜、第一次大戦におけるドイツ兵俘虜、日中戦争初期の将兵39人が1日で戦死・・・ 列挙して並べるには重すぎる史実ばかりであるが、国民的な「記憶の共同体」形成のために「保存を考える会」の人々が紡ぐ歴史の掘り起しである。

 「真田山陸軍墓地と関わった日々」の記録では、戦争の悲惨、悲劇を知らない次世代に史実を伝える活動として、墓地のボランティア案内や、高校教育での実践と、若い世代から返ってきた新鮮な感想が印象深かった。―「徴兵制度のあった時代の波に呑まれて、泡のように消えていった命を思います」(高3女子)「感じたのは、なぜこのような歴史のある場所があまり管理されず、激しく傷んでいっているのかということです。国や行政がさらに動き、守っていかなければならないと考えます」((高3女子)など―

 本書および「NPO法人 旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の活動は、「靖国神社」や各地の忠霊塔・忠魂碑において、「戦没者を慰霊する」という名のもとに「日本の対外膨張を肯定し、戦没者をその過程において評価する視点」が強調される風潮に対して、被葬者の死没の意味を歴史の峻厳なる検証を地道に重ね、そのありようを明確に対置している。

 2018年9月4日近畿を縦断した台風21号は、この旧真田山陸軍墓地に大きな被害の爪痕を残した。大きな木は幹が裂け、根こそぎ倒れて、墓碑の被害が甚大だった。すぐ翌日調査に行った「保存を考える会」は、管理している大阪市建設局管財課に対して、破壊状況の記録作成と復元するための基本的な注意事項5項目を申し入れた。その被害状況もリアルに記録されている。本来国が管理運営すべきことが自治体におしつけられているのであって、国は、歴史的にも重要な意味をもつものとして、墓地を文化財として認め、史跡として指定し、恒常的な展示施設を伴う研究施設を併設すべきであって、これらの対策が今までに取られていれば、台風被害も幾分かは緩和されていたのではないか― と本書は結んでいる。(伍賀 偕子<ごか・ともこ>元「関西女の労働問題研究会」代表)

新着雑誌です(2020.6.10)

今週の新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。閲覧のみです。

労政時報 3994号 2020.6.12 (201371762)

労働基準広報 No2030 2020.6.1 (201371796)

労働基準広報 No2029 2020.5.21 (201371820)

労働法学研究会報 No2714 2020.4.1 (201371853)

労働法学研究会報 No2715 2020.4.15 (201371887)

労働法学研究会報 No2716 2020.5.1 (201371911)

労働法学研究会報 No2717 2020.5.15 (201371713)

労働法学研究会報 No2718 2020.6.1 (201371747)

 

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れいこちゃん記念文庫のささやかな募金活動

 今日6月6日は井上れいこちゃんのセカンドバースデー(命日)です。れいこちゃんは1年間小児がんと闘い、2012年に11年の短い命を閉じました。

 エル・ライブラリーのサポーターであったれいこちゃんを悼み、れいこちゃんの闘病を支えたNPO活動を支援するために、当館内にささやかな記念文庫を設置しています。れいこちゃんだけではなく、難病とともに生きる子ども達と家族を支えるNPOの情報収集も行っています。

 れいこちゃん記念文庫の詳細はこちら

 毎年この日は、れいこちゃんのお父さんであり空手家図書館員として高名な井上昌彦さんがご自宅を開放して「れいこパーティ」を開催されます。れいこちゃんを知る人たちが三々五々集まり、それぞれにれいこちゃんを偲ぶのです。

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 残念ながら今年はコロナ禍のためにこのれいこちゃんパーティが中止となりました。毎年この日を期して当館内に設置している募金箱を空けます。一年間にたまった金額にスタッフが私費を足してまとまった額(といっても些少)をチャイルド・ケモ・ハウスに送っています。

 れいこちゃん記念文庫を設置して今日でちょうど7年となりました。れいこちゃんが星になってからは8年です。あっという間に過ぎてしまった日々の流れを偲びつつ、れいこちゃんや難病と共に生きる子どもたちを支援するためのNPOなど市民活動を情報面から支援するために、当館はこれからも情報収集と発信を続けていきます。

 現在レット症候群支援機構、FOP(筋肉が骨になる難病)と闘う少年の手記『神様からの宿題』、メイク・ア・ウィッシュなどの資料を展示しています。レット症候群については、こちらに病気とともに生きる少女の動画があります。ぜひご覧ください。

www.youtube.com

 

www.kemohouse.jp

 



 

新着雑誌です(2020.6.4)

新着雑誌です。

新着雑誌のうち最新のものは貸出できません。

労政時報 3991号 2020.4.10 (201371655)

労政時報 3992号 2020.4.24 (201371689)

労政時報 No3993号 2020.5.8 (201371846)

労務事情 No1404 2020.4.15 (201371648)

労務事情 No1405 2020.5.1 (201371671)

労務事情 No1406 2020.5.15 (201371473)

賃金事情 No2803 2020.4.5 (201371507)

人事実務 No1208 2020.5.1 (201371531)

企業と人材 No1087 2020.5.5 (201371564)

月刊人事マネジメント 352号 2020.4.5 (201371598)

月刊人事マネジメント 353号 2020.5.5 (201371622)

労働基準広報 No2025 2020.4.11 (201371879)

労働基準広報 No2026 2020.4.21 (201371903)

労働基準広報 No2027 2020.5.1 (201371705)

労働基準広報 No2028 2020.5.11 (201371739)

賃金と社会保障 1750号 2020.3.25 (201371697)

賃金と社会保障 1751号 2020.4.10 (201371721)

賃金と社会保障 1752号 2020.4.25 (201371754)

賃金と社会保障 1753号 2020.5.10 (201371788)

賃金と社会保障 1754号 2020.5.25 (201371812)

 

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『ハンセン病療養所と自治の歴史』

 松岡弘之著『ハンセン病療養所と自治の歴史』(みすず書房、2020年2月)

ハンセン病療養所と自治の歴史(表紙)

 1909年、大阪市尼崎市の境を流れる神崎川河口の中州(大阪市西淀川区中島)に、2府10県の第三区連合府県立外島(そとじま)保養院が開設された。1934年の室戸台風で外島保養院は壊滅、1938年に岡山県瀬戸内市長島の西端に「光明園」として復興、1930年には国立療養所第1号の長島愛生園が東端に開園していたので、長島は公立、国立療養所のある隔離の島となった。光明園は1941年に国立に移管し、「邑久光明園(おくこうみょうえん)」となり現在にいたる。

 著者は、1995年、阪神・淡路大震災後に被災地での歴史資料保全活動に参加、その後ハンセン病と出会い長島に通う。岡山県ハンセン病問題関連資料調査専門員・邑久町編集委員会近現代史部門専門委員として、邑久光明園、長島愛生園所蔵の行政文書、手紙、日誌、会議記録の調査、『長島は語る』(岡山県)及び『邑久町史』(現瀬戸内市)刊行に関わった。その後、大阪市史編纂プロジェクト、尼崎市立地域研究史料館職員として外島保養院に関連深い地で研究を続けてきた。

 何より、大阪にあった外島保養院の自治についての先駆的研究者である。

  本書は、大阪市立大学院に提出した学位論文「近代日本のハンセン病療養所における自治の成立と展開」を一般の読者に届く言葉で、書き改めたものである。外島保養院と長島愛生園を主に分析の対象とし、第1は、ハンセン病入所者の存在を、歴史のなかを生きた人々として位置づける。第2は、自治会活動という集団的実践を考察する。第3に入所者の自治を時代のなかに位置づける。以上の3つの狙いから近代ハンセン病療養所に生きた人々の苦難と希望に、そこで取り組まれた入所者の自治から迫るものである。

 序章では、1990年代以降のハンセン病問題の歴史的研究、2000年以降の流れと現状について述べている。

 第1部では、第三区連合府県立外島保養院を考察している。全国5か所に設置された公立ハンセン病療養所のなかで自治会がもっとも早く成立した療養所でもある。

外島保養院における自治は入所者管理の方法として初代院長が1915年に許可し、定着を支援した。1926年に村田正太2代目院長が就任すると、自由主義的な運営を貫き、療養所をユートピアにと自治を育てた。院内の患者作業は、自治会の作業制度として運営していった。

 大正デモクラシーの影響下で、社会主義思想も院内に及び、「日本プロレタリア癩者解放同盟」が結成された。自治会運営方針を巡って急進派、保守派と対立を深め、1933年8月には、プロレタリア・エスペラント運動に関わる職員等の検挙によって院内は動揺し、自治会は急進派追放を求め、院長も辞職する「外島事件」が起こった。

 1934年9月に京阪神地方を直撃した室戸台風後、生存者は全国6か所の療養所へ委託患者として送られ1938年に光明園へ帰園する。自治会の理念である「相愛互助」の精神は、委託先療養所に影響を及ぼした。

  第2部 国立療養所長島愛生園では、国立療養所の設置と地域社会との関連、創設期の入園者統制を『舎長会議事録』から分析、初の国立療養所では、光田健輔(みつだ・けんすけ)を頂点とする家族主義的運営がされていたが、委託患者78人を迎えて、間もなく入所者1000人を超え、光田健輔退陣、処遇改善の声があがり、激しい闘争の結果自治会が誕生した経緯について述べている。

 第3部戦争と自治では、総力戦下の長島愛生園、光明園が国立邑久光明園となった1941年にはやむなく自治を手放したが、戦後自治が復活する礎となった。

 補論1は、愛生園の女医で『小島の春」の著者小川正子が光田に宛てた書簡を分析し、補論2では長島事件後に入所した、田中文雄自治会幹部としての活動を検証した。

 ハンセン病療養所は、国の隔離政策で開設され、入所者は見えなくされてきた。

外島保養院で始まった自治を求める闘いは、他の療養所に波及し、戦後のらい予防法反対闘争、国賠訴訟、家族訴訟へと歴史的につながっていく。著者は一次史料を丁寧に分析しており、リアルに想像しながら読み進めることができる。取り上げた2つの療養所は、在日朝鮮人入所者が多かった。自治との関係で今後の研究を期待したい。

 大阪人権博物館(リバテイおおさか)では、「ハンセン病回復者」のタイトルで「隔離政策と偏見との闘い」として、外島保養院における自治、「日本プロレタリア癩者解放同盟」も展示されていた。それが2011年に橋下知事の介入で展示内容が変更された。大阪市長に転身した橋下氏により、2015年には市有地明け渡しと賃借料請求訴訟が提訴された。2016年秋には、らい予防法廃止20年、国賠訴訟勝訴15年記念企画展「人間回復への道―ハンセン病問題は問いかける」(ハンセン病市民学会、大阪人権博物館共催)を実施したが、この5月で閉館となった。3万点の資料を所蔵する館の移転先は決まっていない。

 こうした時期に本書が刊行された意義は大きい。

              (外島保養院の歴史をのこす会共同代表:三宅美千子)

6月2日(火)から開館します

 新型コロナウィルス感染症防止のために5月30日まで臨時休館(5月31日と6月1日は通常休館)していましたが、6月2日(火)より開館いたします。 ただし、ご利用に際しては以下の点をご協力お願いいたします。
 当分のあいだ、ご利用は予約制とし、閲覧ご希望の資料名を前日までにご連絡ください。できるだけ滞在時間を短くしていただけるように、資料をご用意しておきます。

 

<6月2日(火)から当面の運営状況予定>
★ご来館は前日までの予約制
サポート会員への送料無料の貸出郵送サービスは当面続行(貸出できない資料もあります。詳細はお問い合わせを)
★非会員への貸出しは終了
★バザー・古本市は中止
★夜間開館は中止
★団体見学は受け入れ停止
★開館日は平日の火曜から土曜まで。開館時間は10時~17時まで


    <ご来館のみなさまへのお願い>
(1)マスクを着用してください。
(2)手洗い、手指の消毒を。エル・おおさか4階エレベーター前に消毒薬を設置していますので、ライブラリー入室前にお使いください。
(3)できるだけおひとりでご来館を。
(4)自習はできません。


   状況を見ながら徐々に制限を緩和いたしますので、当面のご不自由とご不便について、ご理解ご協力をお願い申し上げます。

お問合せフォーム:https://shaunkyo.jp/contact/
電話:06-6947-7722
当館最新情報:https://twitter.com/Llibraryosaka