連載第12回 職場新聞(5)『晒練(せいれん)職場新聞』その2
晒練職場は繭由来の整糸屑等を煮沸・腐化・洗浄するため、悪臭と重労働によって、他職場の労働者からも忌避される「特殊作業場」*1
であった。中でも、洗浄工程は冷水を使用するため、この工程に従事する女性労働者について、母体保護の見地から男性労働者への切替が要求された。
1954年10月に職場として洗場男子切替を要求、翌55年に執行部が人員配転案を作成したものの、他職場から不服が出て配転は実現されなかった。*2
『晒練職場新聞』では、1956年8月の創刊号から57年4月発行の第9号に至るまで、ほぼ毎号、この問題が取り上げられている。
第3号(1956年10月10日発行)には男女の紙上討論が掲載されている。
晒練職場新聞第3号2面
「紙上討論 女子のよろこびは男子の苦しみ」
(中略)
男から女へ
女子の喜びは男子の苦しみ。洗濯場男子切替が具体化して来ると女子は大変喜ぶが、男子はつらいぞ、もしかした((ママ))一生この晒練に居なければならないのに。洗濯夫とは、何んと情けないことだろう。
「お父ちゃんは洗濯夫」!どうだい、女性諸君!!気に入ったか?
洗濯夫の男と結婚する意思有りや、なしや、回答を待つ」
晒練の内部でさえ、男性労働者が洗濯作業に従事することに、大きな抵抗感があったことが分かる。
また、同時期に発行された、絹紡ガス焼職場新聞『ほのお』7号(1956年10月1日)には、「男子寮、又は組合では晒練職場男子切替が一番問題と成っていますが、女性がしていた仕事を長い将来において続けると云うことはなんと、つらい事だと思います」という記事が見られる。洗濯という職種が「女性の仕事」と認識されていたことが、抵抗感の背後にあったことがうかがわれる。
1956年9月、再び晒練洗場男子切替えの問題が職場代議員会で討議され、配転割合表を付した「示達」が執行部から発出された。*3
『示達 職場代議員殿 晒練洗場男子切替えについて』
しかし、その後の『晒練職場新聞』には、切替達成の記事は見られない。一方、翌年6月の第3回支部大会の報告(4)には、晒練男子切替が行われなかったという総括と反省が記載されており、結局今回も切替は実現されなかった。
(下久保 恵子 エル・ライブラリー特別研究員)
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